そもそも私が日本語教育に興味を持ち始めたきっかけは、アメリカに留学していたとき、大学で夏休みの間に開講されていた日本語の集中コースを受講していた台湾人の女性数人に、「は」と「が」の違いを聞かれたことでした。こんなことは考えてみたこともありませんでしたので戸惑いましたが、高校のときに見た「国語便覧」とかいう本の「は」のところに「強意」と書いてあったのを思い出し、それをそのまま直訳して、「は」はemphasisだと答えました。しかし、後から考えてみると、それは違うのではないか、という気がしてきました。

 例えば、「俺がやる」という文と、「俺はやる」という文を比べてみても、後者の「は」がemphasisだとは思えません。実は、私がアメリカで台湾人相手にした「は」と「が」の違いについての説明は大嘘だった、ということが、後に日本語教師養成講座に通い始めてからわかりました。「は」と「が」の違いはかなり奥が深く、詳しく説明すると1時間半ぐらいかかりますので、ここでは説明しませんが、皆さん、ぜひ考えてみてください。

話を元に戻しますと、当時の私には「外国語としての日本語」に関する知識が皆無だった、というわけです。日本語教育を学んだことのある方以外は当時の私と同じように、「外国人に教える日本語」の文法に関する知識はないと思いますが、日本の学校で国語の授業の時間に教わる「国語文法」とは根本的に違うものだ、ということだけは覚えておいていただきたいと思います。日本語教師養成講座で外国語としての日本語の文法を初めて学びましたが、文法の勉強がこんなに面白いものだったとは、と本当に驚きました。なにしろ、前述した「は」と「が」の違いをはじめ、新しい発見の連続だったのです。文法だけではなく、「こぼれる」と「あふれる」の違いなど、語彙の勉強でも新しい発見がたくさんありました。

 プロの日本語教師として仕事を始めてからも、授業の準備のために参考書を読んだり、辞書を引いたりしているときや、学生からの質問の答えを考えるときなどに、新しい発見をすることが多く、それをいつも楽しんでいます。




特に国内の日本語学校で教える場合、授業は直接法で行わなければならないため、初級、中級のクラスでは、教師は授業で使用する日本語をコントロールする必要があります。つまり、学生がまだ習っていない文型や単語を不用意に使ってはいけない、ということです。そのため、教師は学生と話すときは自分が使用する日本語にいつも注意を払うことが大切です。

また、自分が日本語を教えていると、テレビで使われている日本語を聞いているときにも、「やらさせていただきます」のような、使役形の誤りなどが気になるようになります。つまり日本語教師は普通の日本人よりも日本語の文法や語彙の誤りに敏感になる、というわけですが、これは職業病だとも言われています。

そういうわけで、経験をある程度積んだ日本語教師は皆、誤った日本語を使うことを避け、意識して正しい日本語で話したり書いたりしようとするようになると思いますが、@で述べたような「外国語としての日本語」に関する知識もそのときに生かせるようになるため、そんな努力を続けるうちに日本語の能力が向上します。

私の場合は、日本語を教えることによって身についた日本語力が思わぬ所で役に立ちました。ご存じの方も多いと思いますが、通訳ガイドの1次試験では、英文和訳、和文英訳の問題が出題されます。日本語の知識があると、英文和訳の時には適切な日本語を、和文英訳の時には日本語の意味に近い英語を短時間のうちに書くことができるようになります。

例えば、「若いときはいろいろなものを見たり聞いたりすることだ」というような和文を英訳するとき、文末の「〜ことだ」は「〜ことが大切だ」と言い換えられる、ということが、日本語能力試験2級の文法の知識があるとすぐにわかりますので、”It is important to…”という訳文があっという間に思い浮かびます。

日本語を教えていると、日本語に関しての質問をされるだけでなく、例えば、「居酒屋などの前にはどうして狸の置物があるのですか」というような質問をされることもあります。日本事情に詳しい日本語教師や通訳ガイドになるための勉強をなさった方、または現役の通訳ガイドでしたら、この質問にはすぐ答えられると思いますが、それ以外の方には難しい質問なのではないでしょうか。

このような質問に答えられるようになるためには、日本語に関する知識だけではなく、日本事情に関する知識を身につけることも必要になります。また、授業中に学生からこのような質問をされた場合、教師がそれに答えることによって、日本事情を外国人に教えることができる、というわけです。