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1. 法隆寺の南西、約350mにあり、昭和60年、全長約14m
の横穴式石室と未盗掘の朱塗りの石棺がみつかり注目され
る。棺内から2体の人骨や冠、筒形、履(くつ)などの金銅
製装身具、1万5000個以上の玉類、銅鏡4面、刀剣6本、
布類などが見つかっている。
( 古墳 )
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2. 弥生時代の大環濠集落(かんごうしゅうらく= 周り
を濠(ほり)で囲んだ集落)や墳丘墓、数千の甕棺(かめ
かん)などが1989年に見つかったことで全国的に注目
される。この遺跡の発見によって、邪馬台国論争で具体的
な遺跡がみつかっていなかった九州説に強力な証拠となる。
( 遺跡 )
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3.7世紀末〜8世紀初頭のものと推定される装飾古墳で、残っていた壁画は東壁の青竜、西壁の白虎、北壁の玄武の四神のうちの3神ほか、日輪、月輪、男性4人と女性4人のそれぞれの群像、朱線と金箔で描かれた天井の星宿図(天文図)である。壁画図案により中国・朝鮮半島の装飾古墳と密接な関係があることが証明された点で、戦後日本の考古学上、最大級のものとなる。
( 古墳 )
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4. 洪積台地にある古墳時代中期の前方後円墳で、宮内庁の指定では、仁徳天皇陵とされており、全長485メートル日本最大の前方後円墳である。
( 古墳 )
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5. 約5500年前から4000年前頃までの約1500年間、縄文時代前〜中期を中心とする複合集落遺跡で、住居跡約600棟のほか、祭祀(さいし)にかかわる大型掘立柱建物跡・墓群・盛土(もりつち)遺構などが発見された。遺物も土器・石器・木製品など数万点を出土した国内屈指の遺跡で、遺跡の範囲はおよそ35haもあり、継続して集落があったと考えられている。最も栄えた縄文中期には500人前後が定住生活をしていた可能性があるとされ、その規模は従来の縄文時代像を大きく塗りかえることとなった。
( 遺跡 )
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解答 |
A1 (藤ノ木 (ふじのき)古墳) (奈良県) |
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A2 (吉野ヶ里(よしのがり)遺跡)(佐賀県) |
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A3 (高松塚(たかまつづか)古墳)(奈良県) |
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A4 (大山 / 大仙陵(だいせんりょう)古墳) (大阪府) |
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A5 (三内丸山(さんないまるやま)遺跡(青森県) |
いかがでしたか、常日頃から新聞は考古学の話題に事欠きません。ですから通訳ガイド試験合格を目指される人は、どんどん興味を持って目を通してみてはいかがでしょうか。それでは他にも重要な遺跡を挙げておきましょう。
キトラ古墳
(奈良県明日香村) |
7世紀末〜8世紀初めの装飾古墳で、北壁に玄武像、西壁に白虎(びゃっこ)像、東壁に青竜像、さらに天井には星宿図(天文図)が描かれている。 |
植山古墳(奈良県橿原市(かしはらし)) |
大きな横穴式石室が東西に2つならぶ長方形墳で推古天皇の母子合葬陵の可能性が高いとされる。 |
鷹山(たかやま)遺跡群 (長野県小県(ちいがさた)郡長門町) |
黒曜石使用の時期が縄文時代早期までにさかのぼる可能性を持つ深鉢型土器が出土した。 |
唐古・鍵(からこかぎ)遺跡 (奈良県磯城(しき)郡) |
弥生前期〜古墳時代の大集落遺跡。盆地の中央に位置し、遺跡内部にある唐古池周辺から土器などが採取。1991年には、従来の弥生時代の建物のイメージをくつがえすような、楼閣が描かれた土器が出土した。この楼閣は、2階または3階建ての重層的なもので、屋根には中国風の渦巻状の屋根飾りがついている。 |
日本歴史問題対策としては、歴史上の重要人物の絵や重要文化財の写真をできるだけ利用して覚えてしまうこと、また、日本歴史の出来事などは、表面的でなく歴史の流れや歴史的意味をうまく捉えることが重要です。そうすれば日本史が苦手な人も楽しく勉強できるようになるでしょう。ちなみにアクエアリーズ
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